【ナイルのたまもの】エジプト・カイロ冒険記①~ラマダンと渋滞と一杯のビールの話~
こんにちは。小野Tです。
これまでの旅先で起こったトラブル話を忘れぬようにブログに書き残そうという趣旨で続けているこのブログですが、中々進みませぬ。
原因はいろいろありますが、いちばんは写真の整理ですね。百枚近くもあるSDカードから当時の写真を探すのがもう大変。
せめてフォルダーなりで整理しておけばよかった。
あとは、写真を見つけても、当時の思い出にふけって時間だけが過ぎて、「明日書き始めればいっか」で終わってしまいます。
明日やろうは馬鹿野郎ですね。
というわけで、不定期更新ですがお付き合いください。
さて今回の舞台はエジプトです。ぱっと思いつく話がいくつかあるので書いていこうと思います。
11年前のことになるので詳細な記憶は残ってませんので、旅の参考にはならないと思いますが、どうぞ優しい気持ちでお読みください。
さて、社会人2年目だった当時、友人と飲みながらお互いの趣味であるバックパッカーについて話しながら、「一緒に冒険してみる?」というノリで旅の予定が決まりました。
とりあえず目的地はイェルサレム!
ここでの出来事はすでに記事にしたので最後にリンクを張るので是非お読みください。
しかし、日本からの直行便を探しても見つからず。
なので、とりあえずどこかを経由していかなければならない。どこにしよう。
イスラエルの周辺を見ると、ヨルダン、レバノン、シリア・・・。
どこも危険なにおいがプンプンするぜ!!
と、地図を眺めながら考えているとある国に目が留まる。
エジプト!!君に決めた!
世界史教員としてこんなに熱い国はない。
ナイルのたまものって言いてぇぇー。(*´Д`)
ということで、出発します。
さて、この当時の自分自身の経験値として、東南アジアの国はほとんどめぐっていましたが、初めての本格的なイスラム教の国は初めてでした。
もちろんアフリカも。
なので、これまでにないくらい入念に準備が必要・・・・。
必要・・・。
必要なんだよなぁ・・。
とわかっているんですが、結局いつも通り往復の航空券のみ。笑
これもカイロとの往復なので、エジプトに行ってからイェルサレムまでいく方法を考えなければなりません。
ガイドブックも成田空港で購入。いつも以上にノープラン。
ちなみに、当時実家に住んでいましたが、出かけるときに親に言った一言は
「ちょっと出かけてくる。」でした。
母親はコンビニに出かけたと思っていたようで、3週間音信不通になったので、警察に相談しようか悩んでいたそうです。
そりゃそうか。ケータイも通じないしね。
そのぐらい、荷物も最小限しか持っていきませんでした。
ホテルも服も現地で買えばいいやの精神。
エジプト到着!
さて、エジプトに到着してからの細かな出来事は覚えていませんが、断片的な記憶を書いておきます。
(1)くっそ暑い。
そりゃ、アフリカですからね。気温は45度以上あったと思います。風もなく、日差しの強さが日本では経験したことのないものでした。ホテルから外に出た瞬間に体中の汗腺が全開になって汗が吹き出ます。大げさじゃなくそんな感じ。
(2)くssssssssssssっそまずい。
食事の話。
これも乾燥帯の世界ですから、食べるものがすべてパサパサしてます。マクドナルドのパテもまとまりがなく、肉のかけらがポロポロと落ちてきます。まずい。
それから、当時はラマダン(断食)の真っ最中。食事面ではいろいろ不便な思いをしましたが、その話はまた別で話します。
(3)くssssssssssっそがでない。
これまでにない環境の変化からか便秘に。まぁ、慣れって大事ですよね。
こんなところでしょうか。とりあえず、気温だけでなくイスラーム圏特有の自由のない感じが不快さに拍車をかけます。
ま、そんなことはおいといて話を進めます。
とりまナイル川にGO!
さて、空港からカイロ市街地までタクシーで約1時間ほどで到着。
ホテルに荷物を置いていざ探検!
ということで気合いを入れて繰り出すも、尋常じゃない日差しの強さに心が折れます。
本当は、乗り合いバスやら庶民の生活に近づきたいところですが、もうタクシーじゃなきゃ嫌です。
今回はこのタクシーの話がメインになります。
とりあえず、市街地の中心、タフリール広場へ。
中央のピンク色の建物が国立博物館。
歴代ファラオのミイラやツタンカーメンの黄金のマスクがおさめられています。
が、その左奥に見える、ナイル川!
まずは一目散に川を目指します。
いやー、特別これというほどのものではないんですがね。
しかし、満を持して。
「うーーーん。エジプトはナイルのたまものですなぁ。」
この一言が言いたかった。それだけ。
だが、それで十分。
ネタの意味が分からない方はこちらで勉強してください。
世界史履修者ならわかりますよね。
さて、本当にその一言と一杯のコーヒーでナイル川に別れを告げ、ナイル川をまたがる橋を渡り、カイロ市街を散策します。
カイロのタクシー事情
多分、カイロ大学を目指して歩いていたような気がします。
と、ここからが本記事のメインの話なんですが、街中を歩いていると異常なまでの頻度でタクシーに呼び止められるんです。
もう、時間で言えば20秒に1回。大げさでなくそんな感じ。
そんなわけなので、ただでさえ途上国特有の渋滞があるカイロで、客引きのためにタクシーが留まるわけですから大渋滞になります。
クラクションの音が常にどこかで鳴り響いています。
それで、あまりにも多いのでおかしいなと思い、通る車の様子をうかがっていたのですが、日本では見られない光景に気づいたのです。
それは、
どうみても一般の車が日本人の客を見つけた瞬間にタクシーに変わる
です。
気づいてしまいました。
対向車線を走る運転手と目が合ったと思ったら、運転手がなにやらガサゴソと車内で何かを探し始めます。
そして、車の上にそれをくっつけたのです。
それは、「TAXI」と書かれたプレートでした。
そして、その車は、渋滞の中を無理やりUターンをして我々の方へと近づいてきて、
「タクシー探してるんだろ。乗れよ。」と声をかけてきます。
もう、あらゆる車でそれが起こるので、大げさではなく我々日本人2人のせいでカイロの道路が交通マヒを起こしてました。これはかなりカルチャーショックでした。
特にナイル川を眺めながら橋を渡っているときは一部の車が橋の上でUターンをしたもんだから、地獄絵図のような渋滞になりました。
断食の習慣について
さて、イスラム圏への旅行でネックになるのが飲酒です。
ひと口にイスラム教といっても、国としてどこまで厳格にルールを適応するかは大きく異なります。
基本的に観光立国を目指そうとすると世界中から観光客を受け入れるわけで、寛容にならざるを得ないわけです。
寛容な地域はインドネシアなど東南アジアが多いですよね。
エジプトはというと、それらしきお店が全然見つかりません。
理由の一つにラマダンであることも大きく影響しています。
ラマダンとは、ざっくり言えば
「日の出ている間は食事をしない」です。
ですから、日の出の前の早朝や日没後は普通に食べていました。
で、ここで問題なんですがカイロ全体がラマダンに取り組んでいる中で、外からやってきた我々はどうなるかというと。
基本的には気にせずに食べてOKのようです。
食べれるもんならね。
日本語が話せるエジプト人が言うにはこうです。
「日中は腹が減って気が立っていて、観光客が食べてる姿を見たくないので店は閉める。逆に日が沈んだ後は我々が食事を楽しみたいので観光客は店に入れない。」
だそうです。まさにこの状況にぶち当たってしまいました。
一杯のビールを求めて
しかし
それでもビールが飲みたいんじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
この気持ちは神にも止めることはできない!
この広いカイロの町のどこかにはあるでしょ!
ということで日の暮れ始めた頃、我々は動き出したのだ。
まずは、空いていたレストラン。
メニューを確認。ない!次!
日本料理の店。開いてない!!次!!
イタリア料理と思われる店。開いてない!!次!!!!!
と店に入って出てを繰り返しても、一向にお酒が置いてある雰囲気がない。
これが、本場のイスラム・・・。そして、アフリカか・・・。
酒に興味のない人からすればクソほど些末な問題ですが、私にとっては死活問題。
パスポートとWi-Fiとビールは大事。【格言】
そして、言うまでもないでが我々が動けば、大量のタクシーが発生するこの国ではマジで気が休まることはありません。
騒音と暑さによるのどの渇きによって、体の力が抜けていきます。
あと、意外と後から効いてくるのが砂塵です。
ずっと外にいると目が開かなくなってきます。グラサン必須ですね。反省。
ということで、だいぶ限界を迎えた我々が最後に向かったのが大きなショッピングモール。詳しくは忘れました。
そしてその中のとある店を見て、勝利を確信します。
これは、ある。
あるに決まってる。
ないわけがない。
よな?
最後の望みをもって店内に入る。
街中で流れるアザーンとは一転、プレスリーらしき曲が大音量で流れ、エアコンの冷たい風が全身を包む。
もう、最高。
しかし、これではない。私が求めているのは。
そして・・・・・。
もうなんも言ぇねぇ。
最高の一杯を堪能することができました。
ということで、エジプトはカイロのお話とイスラムの断食についての話でした。
初日からえらく疲れましたわ。
今回はここまでにしたいと思います。 では。
エジプトの後に訪れたイェルサレムの話はこちらです。
この旅行から10年後にイスラム教の洗礼を受けた時の話はこちらです。